学生コラム(4) 「場創り」のエンジニアを目指して
2011/02/22
1月20日、27日、2月3日にアップしたブログの続きです。4番手の学生は...
小野 彰太(おの しょうた)
平成元年生まれ。兵庫出身。高専時代に機械科でモノ作りを学ぶ。
子供キャンプの経験から野外教育で食べていくべく、
国際自然環境アウトドア専門学校に在学中。
十五歳から二十歳まで、工業高専に通って日本の高度成長を
担ってきた「モノ作り」を勉強した。そこでは、ネジ一つ、
バネ一つを作るまでに、強度設計、製図、加工方法…。
自分の身の周りにある全てのモノが、確かな理論と技術から
出来上がっていることを知識として得ることができた。
そして、卒業研究で初めてロボットという、「製品」を作る過程を
経験した。その難しさに苦悩し、未完成の悔しさが残った。
自分が工場の一歯車になること、また社会進出への不安もあり、
昨年の春に妙高にやってきた。自分の中でも、そして親、
友人から見ても、僕の選択は百八十度方向転換をしたものだったと思う。
暮らしに関しても、勉強の内容、生活環境と間違いなく大きな変化があった。
その変化は確かに僕が望んだ方向へと開けていて、自分の選択が
間違っていなかったと感じている。
そして今、自分のことを考えた時に気付いたことがある。
それについて書きたいと思う。
最近、よく「自分の在り方」を考える。
それは、大きいことではライフスタイルであったり、将来の仕事であったり、
または、来月手伝う子供向けのプログラムでのことであったりと、
今までよりは、少しだけ自分の立ち位置や振る舞い方を
考えられるようになった気がする。そこで、「自分は何をしたいのか。」
ということがいつも重要になってくる。
漠然ではあるが、今は子供やその親向けのキャンプ、自然体験プログラム。
または、芸術鑑賞といったソフト作りをやっていきたいと思っている。
これを今自分では、「場作り」という様に考えていて、自然意識や芸術体験への
興味を持つきっかけを作りたい。そんなコーディネートができる空間・場を
生みだせればいいなと思っている。さて、この「場作り」と「モノ作り」。
ハードとソフトという、相反するもののような気もするが、
僕は何か共通するものを感じて仕方がない。
エンジニアの道を捨て、百八十度向きの違う世界を求めて
やって来たと思っていた。しかし、自分はやっぱり「作る」ことが
したいのだということに気付いた。それもできることなら「創る」ことを。
妙高に進路を決めた時、担任に「エンジニアとしての感覚を忘れずに。」
と言われた。その時から、高専の五年間を無駄にはしたくないと考えていた。
工業発展の煽りもあって多くの人が疲弊しているのならば、
コーディネーターであり、また「場作り」のエンジニアとして、
厳しい競争社会で頑張る仲間に協力していけたらうれしい。
小野 彰太(おの しょうた)
平成元年生まれ。兵庫出身。高専時代に機械科でモノ作りを学ぶ。
子供キャンプの経験から野外教育で食べていくべく、
国際自然環境アウトドア専門学校に在学中。
十五歳から二十歳まで、工業高専に通って日本の高度成長を
担ってきた「モノ作り」を勉強した。そこでは、ネジ一つ、
バネ一つを作るまでに、強度設計、製図、加工方法…。
自分の身の周りにある全てのモノが、確かな理論と技術から
出来上がっていることを知識として得ることができた。
そして、卒業研究で初めてロボットという、「製品」を作る過程を
経験した。その難しさに苦悩し、未完成の悔しさが残った。
自分が工場の一歯車になること、また社会進出への不安もあり、
昨年の春に妙高にやってきた。自分の中でも、そして親、
友人から見ても、僕の選択は百八十度方向転換をしたものだったと思う。
暮らしに関しても、勉強の内容、生活環境と間違いなく大きな変化があった。
その変化は確かに僕が望んだ方向へと開けていて、自分の選択が
間違っていなかったと感じている。
そして今、自分のことを考えた時に気付いたことがある。
それについて書きたいと思う。
最近、よく「自分の在り方」を考える。
それは、大きいことではライフスタイルであったり、将来の仕事であったり、
または、来月手伝う子供向けのプログラムでのことであったりと、
今までよりは、少しだけ自分の立ち位置や振る舞い方を
考えられるようになった気がする。そこで、「自分は何をしたいのか。」
ということがいつも重要になってくる。
漠然ではあるが、今は子供やその親向けのキャンプ、自然体験プログラム。
または、芸術鑑賞といったソフト作りをやっていきたいと思っている。
これを今自分では、「場作り」という様に考えていて、自然意識や芸術体験への
興味を持つきっかけを作りたい。そんなコーディネートができる空間・場を
生みだせればいいなと思っている。さて、この「場作り」と「モノ作り」。
ハードとソフトという、相反するもののような気もするが、
僕は何か共通するものを感じて仕方がない。
エンジニアの道を捨て、百八十度向きの違う世界を求めて
やって来たと思っていた。しかし、自分はやっぱり「作る」ことが
したいのだということに気付いた。それもできることなら「創る」ことを。
妙高に進路を決めた時、担任に「エンジニアとしての感覚を忘れずに。」
と言われた。その時から、高専の五年間を無駄にはしたくないと考えていた。
工業発展の煽りもあって多くの人が疲弊しているのならば、
コーディネーターであり、また「場作り」のエンジニアとして、
厳しい競争社会で頑張る仲間に協力していけたらうれしい。